戦国時代の最強忍び集団と称される風魔忍者の戦術と特徴は、一般的にイメージされる忍者の枠を大きく逸脱しています。黒装束で潜入して密書を盗み出す隠密行動以上に、彼らの真骨頂は「夜間奇襲」「騎馬機動戦」「集団ゲリラ戦」にありました。
その凄まじさを如実に物語るのが、天正8年(1580年)に駿河・黄瀬川を挟んで勃発した武田勝頼軍との戦いです。このとき風魔一族は、暴風雨の夜に乗じて川を渡り、武田軍の陣営へ小集団で次々と夜襲を敢行しました。彼らは闇夜の中で敵の兵糧や馬を奪い、陣幕に火を放ち、混乱した武田軍の兵士同士を同士討ちへと追い込みました。
その際に用いられたのが、風魔独特の暗号・合言葉戦術です。風魔の兵は「立ちすぐり、居すぐり」という取り決めを行い、立ったままの者は敵、屈んだ者は味方として闇の中で瞬時に判別し、敵軍だけを正確に斬り倒しました。さらに、相模湾や東京湾などの沿岸部では小舟を操る水軍ゲリラとしても機能し、陸海双方で立体的なかく乱戦を展開した点が大きな特色です。
ここで、風魔一族と著名な伊賀忍者・甲賀忍者の違いを構造的に比較してみましょう。
このように、伊賀や甲賀が独立した自治共同体から傭兵として各地へ派遣されていたのに対し、風魔一族は終始「北条氏の家臣団」として強固に組み込まれていました。この構造の違いこそが、後の悲劇的な運命を決定づけることになります。