この都市伝説のさらに異様な側面は、父親のみならず「母親である美智子さまのお腹を痛めた子ではない」という美智子さま実子説の真相にまで疑いの目が向けられた点にあります。
昭和30年代後半、美智子さまは民間から初めて皇太子妃として皇室に嫁ぎ、古い因習や一部の皇族・旧華族層からの猛烈な風当たりに晒されていました。1963年(昭和38年)には心労が重なり、第二子のご懐妊が流産に終わるという痛ましい悲劇を経験されています。その後、葉山御用邸での長い静養期間を経て、国民の祈りの中で再び身ごもられ、1965年に無事にお産みになったのが秋篠宮さまでした。
当時の報道記録や、美智子さまの側近の手記には、流産の苦しみを乗り越えて文仁親王を授かられた際の上皇ご夫妻の深い安堵と喜びが克明に綴られています。それにもかかわらず、流産による静養期間があったことや、当時の宮中における孤立状態を悪意をもって歪曲し、「美智子さまは子どもを産めない体になり、身代わりを立てた」というグロテスクな創作話へと昇華させた一部の勢力が存在したのです。
これらは、昭和の時代に吹き荒れた「美智子さまバッシング(粉ミルク育児への批判やキリスト教陰謀論など)」の残滓であり、平成・令和の時代になってネット空間で形を変えて再浮上したに過ぎません。