日本中を巻き込む「不仲説」の発火点となったのは、2009年9月5日にオランダ・エンスヘデで行われた国際親善試合・オランダ代表戦でした。前半44分、ゴール正面約25メートルの絶好の位置でフリーキックを獲得した場面です。
当時、日本代表の不動のプレースキッカーは中村俊輔でした。セルティックで欧州王者を震撼させ、世界屈指の左足と称えられた絶対的存在に対し、代表定着を狙っていた当時23歳の本田圭佑が歩み寄り、ボールを抱えて直接交渉を試みました。
ピッチ上で交わされた「俊さん、蹴らして」「いや、俺が蹴る」という短い応酬。最終的に中村がキッカーを務めたものの、試合後にメディア各社が「若手の反乱」「背番号10への公然たる挑戦」とセンセーショナルに報じたことで、世間には「二人の不仲」という強烈なパブリックイメージが定着しました。
しかし、報道各社の取材データや後のドキュメンタリー特番で明かされた実態は、単なる上下関係のいざこざではありませんでした。当時導入されたばかりの公式球「ジャブラニ」は軌道が変化しやすく、中村の得意とする強い回転をかける巻き球よりも、本田の武器である無回転ブレ球が圧倒的な威力を発揮する環境が整っていたのです。本田は純粋に「その瞬間、最も得点確率が高い選択肢」として直訴し、中村もまた「背番号10を背負うキッカーの責任」としてボールを譲りませんでした。私怨ではなく、勝負に対する極限のプロ意識の衝突でした。