「教える」と「政治を行う」。一見すると高潔で知的な営みに思えるふたつの行為に、なぜ「棒で叩く」を意味する「攵(ぼくづくり)」が組み込まれているのでしょうか。説文解字をはじめとする漢字学の体系を紐解くと、古代社会における冷徹なリアリズムが浮き彫りになります。
まず「教」という漢字です。左側の構成要素は「孝」の古字あるいは「学(學)」の上部にも通じる「爻(知恵や計算に使う算木を交差させた形)」と「子(子ども)」から成り立っています。そして右側に「攵(棒を持った手)」が添えられています。つまり「子どもに対して算木を使った知恵や礼法を、手に持った棒や鞭で叩いて叩き込む」情景が、この文字の本来の姿でした。自発的な学びを尊重する現代の教育観とは対照的に、古代において教育とは「叩いて歪みを矯正する暴力性を伴う指導」だったのです。
次に「政」を見ていきます。左側の「正」は、城壁に囲まれた都市に向かってまっすぐ進む足跡を表し、「正しい」「規律を守る」を意味します。ここに「攵(叩く・力を加える)」が合わさることで、「社会の乱れを叩いて正す」「権力を行使して秩序を強制維持する」という統治行為そのものを表す漢字が成立しました。国家権力が刑罰や法という強制力(鞭)を行使して民衆を律することこそが、「政(まつりごと)」の原義に他なりません。
この「動作を加える・叩く」というのぶん意味は、部首攵の漢字全体を貫く共通項です。
- 敗:財宝を象徴する「貝」を棒(攵)で叩き割ることから、「やぶれる」「失う」を意味する。
- 散:麻や肉を棒(攵)で叩いてバラバラに散らす。
- 救:災難に遭った者や溺れそうな者を、棒(攵)を差し伸べて叩き払うように引き寄せる。
- 攻:道具(工)と棒(攵)を手に取り、相手を激しく叩く。
- 放:罪人や家畜を棒(攵)で叩いて追い払い、遠くへ放つ。
「教」も「政」も、平和的な対話ではなく、目的に向かって外的な強制力を加えるという「攴」の原動力によって形作られた文字なのです。