文久3年9月18日、大雨が降りしきる京都の夜。八木邸の奥の間で決行された芹沢暗殺は、新選組の歴史における決定的な転換点となった。近藤や土方らにとって、組織の規律を乱し、会津藩からの信頼を揺るがしかねない芹沢の存在は、排除すべき障壁であったことは間違いない。
しかし、近年の研究者たちは、この暗殺劇が単なる「正義対悪」の図式では括れないと指摘する。両者の間には、新選組をどのような組織にしていくかという決定的な路線対立が存在した。組織の絶対的な統制を狙う試衛館派にとって、強大な影響力と独自の思想を持つ首領の存在は不都合だったのだ。刺客の刃に倒れた芹沢の無念は、新選組という組織が背負うことになった悲劇の始まりでもあった。