2000年代以降、上方落語協会の会長に就任した彼は、長年の念願であった常設寄席「天満天神繁昌亭」の開場に向けて奔走する。戦後、上方落語の常設小屋が途絶えていた大阪の街に、再び定期的に落語が聴ける場所を取り戻した功績は計り知れない。
資金集めから行政との交渉、寄席の演出に至るまで自ら陣頭指揮を執った。上方落語の継承と若手の育成、そして観客層の拡大。個人のプレイヤーとしてトップを極めた人物が、業界全体のインフラ整備と後進の支援に尽力した姿は、演芸界の未来を大きく変えた。彼が築いた土台があったからこそ、現在の上方落語の隆盛が存在する。