結婚当初の内藤さんは、映画の端役や自主制作作品への出演が中心で、俳優としての収入はほとんどありませんでした。風呂なしアパートでの生活や、日々の食費にも事欠く極貧生活が続きました。
その生活を経済面で支え切ったのが、妻がピアノ講師として得ていたレッスン料でした。内藤さんがアルバイトに追われて芝居に集中できなくなることを案じた妻は、「私が働くから、あなたは良い役者になるための勉強をしなさい」と励まし続けたといいます。
『徹子の部屋』などの過去のインタビューで内藤さんは、当時の妻について次のように語っています。
「妻は一度も『売れてほしい』『もっとお金を稼いで』とは言いませんでした。『好きな芝居を納得いくまでやりなさい』と背中を押し続けてくれた。今の自分があるのは、間違いなく妻のおかげです」
30代半ばを過ぎ、映画『ヒポクラテスたち』や数々のサスペンスドラマでバイプレイヤーとしての地位を確立するまで、妻は文句ひとつ言わずに家庭を支え続けました。