1950年代後半の東京。戦後復興のエネルギーが爆発する一方で、既存の美意識や秩序に対する過激な疑義が萌芽していました。当時、丹下健三研究室に所属していた若き建築家・磯崎新は、親友であった美術家の吉村益信からアトリエ兼住居の設計を依頼されます。これが磯崎にとって生涯初の建築作品となりました。
限られた予算と狭小な敷地という制約の中、磯崎が提示したのは、吹き抜けのオープンな大空間を抱え込んだ、シンプルでありながら極めて力強い木造建築でした。外装を白く塗装されたその佇まいから、いつしか人々は敬意と親しみを込めて「新宿ホワイトハウス」と呼ぶようになったのです。
この建物は単なる住まいにとどまらず、若きクリエイターたちが夜な夜な集い、既存の芸術の枠組みを破壊するための議論を戦わせる「溜まり場」へと変貌を遂げていきました。