空城の計とは?司馬懿が撤退した真の理由と史実との決定的な違い

空城の計とは?司馬懿が撤退した真の理由と史実との決定的な違い

空城の計とは?司馬懿が撤退した真の理由と史実との決定的な違いとは一体何なのか? 主要なファクトを簡潔に解説します。

諸葛亮の故事は創作劇の色彩が濃いものの、日本の戦国時代においては、史実として記録された見事な空城の計が存在します。元亀3年(1572年)12月、武田信玄の軍勢と激突した三方ヶ原の戦いにおいて、徳川家康が自城・浜松城で見せた決死の防衛戦です。

信玄率いる武田軍の圧倒的な騎馬戦術の前に、家康軍は散々に打ち破られ、家康自身も命からがら数騎で浜松城へと逃げ帰りました。城内には動揺と絶望が広がり、残存兵力はごくわずか。追撃の手を緩めない武田軍の先鋒・山県昌景や馬場信春らの軍勢が城門間近にまで迫っていました。

この極限状態において、家康は城門を固く閉ざして籠城する策を捨てました。すべての城門を開け放ち、篝火(かがりび)を城内外にこれでもかと焚かせ、城内を白日のように照らし出させたのです。さらに家臣の酒井忠次が櫓に登り、太鼓を打ち鳴らして味方を鼓舞したとされる逸話(酒井の太鼓)も有名です。城下まで殺到した武田の将兵は、門が開け放たれた異様な静寂と篝火の煙煙とした光景を目にし、「討ち取られたと見せかけて城内に伏兵を配し、乱入した我らを挟み撃ちにする罠ではないか」と警戒を強め、城内への突入を中止して軍を引きました。実戦の修羅場で「敵の警戒心」を逆手に取った、日本屈指のリアルな心理逆転劇です。

森 瞳
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森 瞳

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