この事件を語る上で欠かせないのが、一審で心身を削りながら判決文を執筆した元裁判官・熊本典道さんの存在だ。熊本さんは合議体の中で袴田さんの無実を確信し、死刑判決に反対し続けたが、多数決の壁に阻まれ自ら死刑判決文を書かざるを得ない悲劇に見舞われた。
後に裁判官を辞職した熊本さんは、生涯にわたりその悔恨を口にし、冤罪の救済を訴え続けた。静岡地方裁判所で言い渡された当初の判決は、証拠の脆弱さを認識しつつも自白調書を重視する当時の司法の限界を露呈していた。真犯人を逃し、無実の人間を半世紀以上も死の恐怖に晒したという事実は、現代の法曹界にも重い問いを投げかけている。