1949年7月5日朝、日本国有鉄道の初代総裁・下山定則を乗せた公用車は、出勤途中に日本橋の三越百貨店へと立ち寄った。それが、彼が生きて公の場に姿を見せた最後の瞬間となる。車を降りた下山は混雑する店内に消え、そのまま消息を絶った。警察による大規模な捜索も虚しく、翌7月6日未明、足立区の常磐線綾瀬駅近くの線路上で、列車にはねられたとみられる下山の切断遺体が発見された。
当時、日本国有鉄道は大激震の渦中にあった。GHQ(占領軍最高司令官総司令部の意向を受け、行政整理に伴う十万人規模の大規模人員整理(人員解雇)を断行している最中であり、前日には第一次解雇通知約3万名が公表されたばかりだった。労働組合との対立は極限に達し、社会全体に異様な緊張感が漂っていた。そうした政治的惨状の中で起きたトップの不審死は、日本中に計り知れない衝撃を与えた。