32歳も年の離れた兄弟を生み出したキーパーソンこそ、2人の父親である山本一男(フミオ)さんです。父親の職業は、腕利きの洋服仕立職人(テーラー)でした。銀座や横浜などで注文紳士服を手がけ、確かな技術と独特のダンディズムを持った人物として知られています。
父親の人生は極めて破天荒でした。生涯で7回(一説には8回)もの結婚と離婚を繰り返し、それぞれの妻との間に多くの子どもをもうけました。長男である寛斎さんが生まれた時、父親は20代前半の若さでしたが、末っ子にあたる伊勢谷さんが誕生した際には53歳前後に達していました。
伊勢谷さんは母子家庭で育ったため父親と過ごした時間は短かったものの、母から「お父さんは本当にハンサムで仕事ができる人だった」と聞かされていたと語っています。寛斎さんのダイナミックなファッション造形力、そして伊勢谷さんの鋭敏なアートセンスや東京藝術大学に進学するほどの造詣は、間違いなくこの職人気質な父親のDNAが宿っていたと言えます。