永禄10年(1567年)、信長と家康が結んだ「清洲同盟」の絆を強固にするため、幼き姫は三河の地へと送り込まれた。武田信玄の脅威が東から迫るなか、織田・徳川の連帯は互いにとって死活問題にほかならない。政略の具として嫁いだ五徳であったが、信康との間には二人の娘が生まれ、当初は平穏な婚姻生活が営まれていたとされる。
だが、戦国時代における同盟関係は常に刃の上を歩くがごとき脆さを孕んでいた。尾張の覇者・織田家と、三河に根を張る徳川家。家格の違いや文化の摩擦は、岡崎城内で静かな軋みを生んでいく。勝気な信長の血筋と、三河武士団の頑迷な気風。その断絶はやがて、修復不可能な亀裂へと育っていった。