志位武雄の氏名の読み方は「しい たけお」です。戦前日本の軍事組織において、極めて狭き門を突破した最高峰の頭脳集団「陸軍参謀」の系譜に位置する人物でした。
陸軍士官学校(第43期)を優秀な成績で卒業した志位武雄は、歩兵科将校としてキャリアをスタートさせます。その後、陸軍将校の中でも選りすぐりのエリートのみが進学を許された陸軍大学校(第51期)へと進みます。同期には後の自衛隊幹部や戦犯裁判で名を残す軍人たちが並ぶ中、志位武雄は成績優秀者に贈られる「恩賜の軍刀」を授与されるクラスの秀才(優等卒業)として頭角を現しました。
その後、大本営参謀本部情報部、さらには満州(現中国東北部)に展開する精鋭・関東軍の作戦参謀(陸軍中佐)として配属されます。対ソビエト連邦の情報分析や北方防衛作戦の立案に携わっており、当時の日本陸軍における中枢神経の一翼を担っていたことが公的記録からも裏付けられています。