両者の歴史は、1964年11月17日に遡ります。当時の創価学会第3代会長であった池田大作氏の発意によって、公明党は結成されました。当初のスローガンは「王仏冥合(仏法の精神を社会に浸透させること)」や「国立戒壇の建立(国費による本尊安置施設の建設)」を掲げ、宗教的理想を国家レベルで実現することを目指した宗教政党としての色彩が濃厚でした。
転機となったのは、1969年末から1970年にかけて起きた「言論出版妨害事件」です。学会や党への批判的な書籍の出版を阻止しようとした問題が国会で追及され、社会的な大バッシングを浴びました。この事態を受け、池田氏は1970年5月の本部総会で「政教分離」を公式に表明。以下の抜本的な改革を打ち出しました。
改革の柱となったのは、創価学会の幹部が公明党の役員を兼任することの原則禁止、国会や地方議会での宗教的教義(王仏冥合など)の言及停止、そして組織機構の明確な分離です。これにより、教団と政党は形式上、別々の道を歩み始めることとなりました。しかし、支持者の大半が学会員である実態は変わらず、その後も「看板の掛け替えに過ぎないのではないか」という議論がつきまとうことになります。