なぜ東西でここまで日付に開きがあるのか。その理由を紐解くには、江戸時代に起きたある出来事に目を向ける必要があります。歴史的な経緯解説を試みると、かつては日本全国で「1月15日」までを松の内とするのが共通の認識でした。
事態が動いたのは江戸時代前期、明暦の大火などをきっかけに幕府が出した通達です。大火災の教訓から、燃えやすい燃え殻となり得るお正月飾りを長期間掲げ続けることを危険視した江戸幕府が、「松の内は1月7日まで」とする令を発出しました。この武家社会のルールが関東を中心に広まり、幕府の威光が直接届きにくかった関西圏では古来の「1月15日」の風習がそのまま残ったとされています。たった一つの防火政策が、数百年の時を経てなお日本の地域文化を二分している点は興味深いニュースと言えます。